比肩するチームの見当たらない、圧倒的な実績もさることながら、長曽根ストロングス(大阪)から強く感じるのは、その揺るぎない存在感だ。全日本学童大会を7度にわたって制してきた、“常勝軍団”の現在地とは──。
全日本学童7度V。常勝軍団の存在感と現在地
OBとの練習試合で選手たちに声を掛ける熊田耐樹総監督
7、8年前のことだ。長曽根は第35回と第36回の全日本学童を連覇した。その時のことをいまも、よく覚えている。
そのいずれも、準決勝と決勝の舞台は東京都大田区の大田スタジアムだった。大田スタジアムで特徴的なことのひとつに、すぐ隣にある、軟式野球場が何面もある「大井ふ頭中央海浜公園」の存在が挙げられる。
本番当日の早朝から練習
長曽根はまだ夜も明けきらないような早朝から、その公園の一面を使い、練習をしていた。全国大会が始まる何カ月も前から、当然のように、決勝の日まで、その面を押さえた上で、である。
始発電車で公園に向かい、着いたときには、もう練習の真っ最中だった。試合開始は午前9時。数時間後の試合に向けて、長曽根の選手たちが行っていたのは、試合前のウオーミングアップなどというものではなかった。ピッチングマシンを何台も持ち込んで、ひたすら打ち込み、ボールを追いかけていた。普段と変わらない、通常の練習風景である。
その様子を見守る熊田耐樹監督(現総監督)とも、辻本茂樹ヘッドコーチ(現監督)とも、何を話した記憶はない。「いよいよですね」「そやね」。その程度だったろうか。選手たちに向かっても、ひと言、ふた言のアドバイス以外は、それほど多く声を掛けるわけでなく、プレーする選手たちの息遣いが聞こえるような、ピリリとした空気の中での練習。
4月の取材日は中1のOBも集まり、”仮想新家スターズ”として後輩たちの練習相手になった
やがて、熊田監督と辻本ヘッドが話し、「そろそろ行こか」と大田スタジアムに移動すると、そのまま試合に入り、きっちりと勝利を挙げてみせたのだった。第36回大会は、3回戦以降をすべて完封勝ちし、決勝で齊藤海聖投手が完全試合を達成するという、圧倒的な内容だった。
毎時1人200球を打つ
全日本学童での長曽根ストロングスといえば、石橋良太(現楽天)を擁しての第22、23回大会の連覇、西川愛也(現西武)が活躍した第31回大会の優勝劇など、ハイライトはいくつもあるが、一番、記憶に残っているのは、この大井ふ頭中央公園での早朝練習における、何ともいえない空気感なのだ。
そんな光景を鮮烈に思い出したのは、この4月の木曜日、長曽根の練習を訪ねたときのことだ。
長曽根が平日練習を行っているのは毎週、火曜と木曜。高学年と低学年とで場所は分かれるが、4~6年生の練習は、とにかくよく打ち、そしてよく守る。
OBチームの投手は仮想の相手エースにあわせ、スピードを落とす。1球ごとにネット裏で計測している
高学年が練習する大阪・松原市民運動広場は、野球ならきっちり2面がとれる広いグラウンドだ。その1面分には、6~7台のピッチングマシンがずらりと並び、これらがフル稼働する。マシンのセッティングから補助、ボール集めに至るまで、選手の父母も総出だ。およそ3人に1台の割合でマシンがあり、選手たちが順番で打ち続ける。6年生選手が打撃練習を終えると、4、5年生の選手が入れ替わりで入る。そして、再び6年生。練習開始から終了まで、マシンの電源を落とす瞬間はない。
「1時間で、軽くひとり200球は打ってるんちゃうかな」。熊田総監督は涼しい顔だが、メーカー担当者に「高校の野球部でも、これほど早くは消耗しない」とお墨付き? をもらうほどの、マシンの酷使ぶりだ。
会心の一打!(上)。厳しいあたりもガッチリとキャッチ(下)
隣の面はきっちりとラインを引いてベースを置き、移動式のバックネットも設置、野球の面が作られる。ここで繰り広げられるのは、ノックの嵐だ。
全日本学童の府大会真っ最中だったこの日(取材日)は、ことし卒業したOBたちが駆けつけての練習試合も組まれる変則スケジュールだったが、いつもは最初に辻本監督がノックを打ち続け、打撃練習を挟み、ナイターの時間になると、かつての高校球児も多い、腕に覚えのある現役選手の父親コーチ陣がノックを打ち続ける。打球のスピードも、コースも、まったく手加減なし。大人の力強い打球が、守備範囲ギリギリに飛ぶ。それに飛び付く選手たち。そんなノックが延々と続く。上着を脱ぎ、汗びっしょりになりながら打ち続けるコーチの方が心配になってしまうほど、休みなく、パワフルなノックだ。
練習試合のプレーひとつにも気迫がこもる(上)。日が落ちた頃に練習試合が終了。練習はまだまだ続く(下)
その合間に、4、5年生は全員が並んでのピッチング練習を行う。ネットの後ろでは、コーチがスピードガンを構え、1球ごとに球速を読み上げる。辻本監督が解説する。「(スピードガンが)あるのとないのとでは、かなり練習の質が変わりますね。自分の調子を計るバロメータにもなりますし、常に『きのうよりも速く』『いまよりも速く』というモチベーションにもなります。コーチがそれほど声を掛けるわけではありませんが、自分には嘘をつけないですからね」
やがて、日が暮れる。市民運動広場は、ナイター設備もある競技場だが、「値段が高いので」とあまり使わない。その代わりに、あらかじめ持ち込まれた、工事現場にあるようなLEDの投光器がずらりと並ぶ。ナイター設備に比べれば光量は圧倒的に足りていないが、ボールは見える、という明るさだ。選手らの激しい動きを幻影的に映し出す薄明かりの中で、さらに1~2時間ほど練習が続く。
日が落ちた後には容赦ないノックが始まる(上)。ノッカーはお父さんコーチ、補助と球拾いはお母さんたち。全員総出で練習が続く(下)
一つひとつの練習メニューを取り出してみれば、何も特別なことはしていない。だが、実際に目にすると、即座に理解できる。すべてが特別だ。一つひとつの練習が、どれも学童野球のレベルを軽々と超越している。
もちろん、選手もコーチも笑顔を見せる場面はあるし、軽口も飛んだりはするのだが、その空間の根底に流れるのは、すがすがしささえ覚える「厳しさ」だ。この「厳しさ」こそが、冒頭にも挙げた、長曽根の揺るぎない存在感につながっているのだと感じる。
「厳しさ」の対極に「甘え」
最近は「選手ファースト」「楽しい練習」といった言葉や、取り組みがクローズアップされるあまりに、「厳しい練習」=悪、と見なすようなケースが多く見られる。
これまで、指導者が「厳しさ」を形にするための安易な手段として、体罰や暴言に走っていたケースは多かった(高校野球でも毎年のように処分の話題が出るように、現在ももちろん、なくなってはいない)。かくいう長曽根の熊田総監督も、過去に2度、体罰などにより連盟からの資格停止処分を経験している。本人も非を認め、しばらくチームを離れた期間を経ての、現在の長曽根での指導がある。
体罰はもちろん、いわゆる「しごき」や「暴言」といった、今風にいう「スポハラ」案件は完全にアウトだ。だが、それらとは別に、うまくなりたい、強くなりたいと望んだときに、スポーツにとって「厳しさ」は不可欠なものともいえる。「厳しさ」は本来、選手が自分自身に向けて持つものだ。そして、そのときの「厳しさ」の反対語に当たるのは、「楽しさ」ではなく「甘え」だ。
また一方では、小学生の時から、そんな厳しさは不要だ、学童時代は楽しさだけで良い、という意見もよく耳にする。それはそれで、当然、間違ってはいない。ただ、そうでなければならない、という話でもない。そもそも、どちらかが正しければ、もう一方は間違っている、という次元の話ではないのだ。理想を考えるのなら、選手自身や、その家族も含め、自分たちにとっての最適解を自由に選ぶことができる、多くの選択肢が用意されている状況ではないだろうか。
伝承の積み重ね
閑話休題。現在の長曽根の練習に感じる「厳しさ」がどこから来るのかを考えると、先輩たちが築き上げた、圧倒的な実績に向かって続ける現役選手らの努力と自覚、その高学年選手たちに憧れ、その後を追いかける低学年選手まで、毎年繰り返される、連続性ある伝承の積み重ねにあるのではないかと思っている。
投球練習では父親コーチがネット裏で球速を計る
現在、高学年チームの指導に当たる辻本監督と、その下の選手らを指導する近藤竜4年生監督は、同い年の息子を持つ同級生でもある。ふたりは16年前に長曽根に入り、息子の卒業後もコーチとして残り、指導を続けている。
そのほか、3年生コーチにベテランの溝口博さんがいて、2年生以下には熟練の齋藤武彦コーチ。これらコーチ陣の見事な連係により、どの選手も低学年のうちにきっちりと基本を身につけ、高学年になる頃には、もはや紛うことなき「常勝軍団・長曽根ストロングス」の一員たる風格を身につけているのだ。
全日本学童2ケタVへ
さて、練習を見に行った後にも府大会は続き、残念ながら、長曽根はことし、第1目標であった全日本学童出場を逃した。戦前から「ことしは強い」とマークしてきたライバル、新家スターズに決勝で敗れたのだ。
長曽根は指導者も選手たちも、すでに目標を全国スポーツ少年団交流大会や高野山旗全国学童大会、阿波おどりカップ全国学童大会へと切り替え、変わらぬ練習を続けている。
熊田総監督も辻本監督も、新家戦の敗戦については、なんの言い訳もない様子で、「ことしの新家さんは強いよ」とライバルをたたえる。長らく、長曽根を目標に躍進を続けてきた新家スターズが、昨年の全日本学童3位入賞を経て、ことしは長曽根を下し、大阪代表として全国大会に臨む。「新家さんは全国大会でも、ええとこまで行くと思うで」と熊田総監督。これもまた、長曽根を巡るアナザーストーリーの始まりなのかもしれない。
もちろん、長曽根もこのまま終わるつもりは毛頭、ない。「全日本学童はね、V10まで行けへんかなぁ、と思うてるんや」と熊田総監督がにやりと笑う。そしてそれは、全くもって夢物語などとは思っていないはずの笑みだと、確信している。
(鈴木秀樹)
投光器の明かりで続けられる打撃練習
【野球レベル】全国大会クラス
【創立】1988(昭和63)年
【活動拠点】大阪府松原市
【活動日】火、木曜と土日・祝祭日
【選手構成】計61人/6年生12人/5年生12人/4年生12人/3年生9人/2年生7人/1年生~未就学9人※2023年度5月現在
【コーチ】代表兼総監督=熊田耐樹/副代表兼高学年監督=辻本茂樹/4年生監督=近藤竜/代表代行兼3年生監督=溝口博、2年生以下コーチ=齋藤武彦
【全日本学童大会】出場17回/優勝7回(2002、03、05、11、15、16、21年)/準優勝2回(2006、22年)、3位/4回(2001、04、17、18年)
【全国スポ少交流大会】出場3回/準優勝1回(2003年)/3位1回(2007年)